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「未経験から農の道へ」
環境に優しい仕事と資本主義への違和感~農業を学び町議会議員へ~
2021年10月18日 卒業生のおたより
同校の卒業生同士だからこそ赤裸々に語れることがあります。
多様な農業への関わり方をする卒業生を、卒業生がインタビューするから見えてくる生の声をそのままお届けする本企画。
自分に合う農業スタイルを探すヒントになればと思います。
板倉哲男(いたくら てつお)
日本有数の観光名所である宮崎県高千穂町の現職議員(2021年10月時点)。AIC関西1期の卒業生。地域おこし協力隊として食べもの付き情報誌“go!たかちほごう食べる通信”の発刊し、初代編集長を務める。その後、“幸せになるためのお金の使い道”を意識しながら高千穂のために活動する。
【卒業生インタビュアー】
塩見純司(しおみ あつし)
大阪生まれ。旅行代理店にて教育旅行の企画営業を担当、この頃ブームでもあったグリーンツーリズムの魅力に引き込まれる。その後、祖父の農地を継ぐべく福岡県田川地域に移住し、農村民泊事業のPMや地域商社の立ち上げに関わる他、地方創生ライターやイベントの企画運営、中高生向けツアー造成など多岐に活動を行う。
今回の舞台はこちら、宮崎県西臼杵郡高千穂町、高千穂峡や高千穂神社などの観光名所が有名な地域だ。ここ高千穂町に移住し、今や町議会議員を務めるのがAIC関西1期卒の板倉哲男さんだ。元青年海外協力隊であり高千穂町地域おこし協力隊を経て町議となった板倉さん、どのような経緯で高千穂に移住し議員職を目指すことになったのか、その想いに迫ってみる。
塩見
「こんにちは!本日はよろしくおねがいいたします」
板倉
「よろしくお願い致します。高千穂町にようこそいらっしゃいました。遠かったのではないでしょうか?」
塩見
「そうですね、宮崎県ですが大分や熊本の方が近くに感じますね(笑)」
環境に優しい仕事と資本主義への違和感
塩見
「今のお仕事をされるきっかけを教えてください」
板倉
「かしこまりました。少し前のお話になりますが、小さい頃から野生の動物が好きだったんでよく動物が出るテレビ番組を見てたんです。その時に環境破壊が野生動物に悪い影響を及ぼすことを知り、その事もあって環境に優しい生き方をしたいなと思ってました」
塩見
「まさに環境に優しい生き方=地方での生活だったのですね」
板倉
「そうですね。今振り返ると、この時の想いが今の生活に繋がっていますね。大学では環境を学ぶために島根大学生物資源科学部に入学し、そして大学卒業後は福井県の農業法人に研修生として入りました。これは“環境”を大事にする仕事を探している中、環境に優しい仕事って何だろうと考えた一つの結論が“農業”だったんですね。ただし、親戚筋にも農家をしている人がいなかった。将来独立もしたかったので、農業法人に就職ではなく研修生として入りました」
塩見
「なるほど。その後は予定通り独立をされたのですか?」
板倉
「独立することも考えたのですが、次のステップを考えた時にこう思ったのです。『アフリカに行ってみたい』と。昔から野生の動物が好きでアフリカに行きたい想いもありましたし、アフリカに行けるタイミングは今しかないかなと思いました。年齢を重ねたらさすがに無理だと思いますしね。また“お金を稼ぐ”ために働くことに違和感を感じていたんです。資本主義の経済の中ではなく、自給自足の生活こそが環境に優しく持続可能なのではないかと、そしてアフリカに行くことでそれが体感できると考えていました」
塩見
「すごい行動力(笑)確かに体力あるうちに少し無茶をしたいものですよね。でもアフリカに行きたいって、何かツテはあったのですか?」
板倉
「大学時代には研究のために周りで海外に行く人も多かったですし、その中でJICAの青年海外協力隊のことも知っていました。ボランティア活動をしながら長期に渡り滞在できることもありこの制度を活用し、2年間アフリカのマラウイ共和国へ飛び立ちました」
塩見
「青年海外協力隊の制度ならば最低限の暮らしがある程度保証されていますものね。実際アフリカの暮らしはいかがでしたか?」
板倉
「アフリカの農村は完全に自給自足のような暮らしだと思っていました。けれども現地の人は経済活動として農業を行っていたんです。人々は農業でお金を稼ぎ、子どもの学費など人の根本的な幸せの為に使っていました。そこで私は気づいたのです。経済活動が悪い事ではない。お金を稼ぐその過程と、それを何に使うかが大事なんだって」
塩見
「大切な視点ですね。資本主義が悪いのではない、お金をどのように稼ぐか、そしてどのように使うのかが豊かな暮らしの根本なのかもしれませんね。板倉さんが議員になられた理由がこのエピソードからもよくわかります」
高千穂町移住への決断
塩見
「高千穂町はどのようなご縁で来られることになったのですか?」
板倉
「帰国後の話になります。まず介護業界の会社に就職しました。帰国時から地方に移住することを考えてましたが、将来的にどの地方に行ったとしても需要のある職種であると考えていたからです。ただ予想外のことが起きてしまった。それは体を壊してしまったことです。それまでは体力だけが取り柄だったのに…」
塩見
「それは大変でしたね。元々就農も含め地方移住を考えておられたのですが、選択肢が狭まりますね」
板倉
「そうなんですね。このことで農家として働くことを諦めざるを得なくなりました。ただ『農家として働くのは無理でも支援することは出来るのではないか?』と考えるようになりました」
塩見
「なるほど。考えの転換ですね!」
板倉
「はい、そして介護職を退職し、デザイン制作会社で働きました。農家は生産することだけでなく販売できなければいけないのですが、そこが苦手な方が多いと感じていました。その手助けをすることができればと考えました。またこの段階でAICに通ったんですね。アグリビジネスを全般的に学ぶことも出来ましたし、自分自身の視野が広がったと思います」
塩見
「この時期にAICに通われていたのですね。生産以外の農業系のビジネスを学べたのは板倉さんにとって知識の幅を広げる意味ではよかったのではないでしょうか?そしていよいよ地方に移住する流れですが、どのように移住先を選んだのですか?」
板倉
「高千穂町の地域おこし協力隊の募集が目に留まったのです。募集内容が“農産物のブランディング”だったので正に自分のやりたかったことと合致しました。また宮崎出身だった青年海外協力隊の仲間によく将来について相談していたんです。その人からは『自分のしたいことしないと!』といつもアドバイスをもらっていたのと同時に、宮崎の良さも聞いてました。そのこともあり応募することにしました」
塩見
「なるほど。協力隊の制度ならばある程度生活も保障された中で移住できますし、募集内容が正に考えていたことと合致となると、申し込むしかないですよね。また仲間の方が近くにいらっしゃることもプラスになりますね」
板倉
「そうですね。余談ですが、相談をしていた宮崎出身の青年海外協力隊仲間は今の妻です(笑)」
地域おこし協力隊から町議会議員へ
塩見
「さて、高千穂町に移住し協力隊となられた訳ですが、どのようなお仕事をしていたのですか?」
板倉
「任務である高千穂町の“農産物のブランディング”をするにあたり兼ねてから実現したいことがありました。それは東北で発刊された“食べる通信”を高千穂でもしたいということです。ただ特産品を通販のように販売するのではなく、冊子を通じて“生産者の想い”や“野菜の食べ方”、それに“地域の情報”を発信できる魅力的な取り組みでした」
塩見
「なるほど、食べる通信は私もよく知ってますが、素晴らしい取組だと思います。ただおそらく一人ではなかなか動けない、協力頂く方などはいらっしゃったのですか?」
板倉
「これはタイミングが良かったのですが、ちょうど着任した時は高千穂の各団体の若手が集まり『何かしたいよね』と機運が高まっていた時期でした。何かの拍子に食べる通信の話をしたら『それいいね!』ってことになって、トントン拍子に話が進んだんです」
塩見
「おぉ、この仲間作りがなかなかうまく行かないことがありますものね」
板倉
「これは運もあったと思います。発刊資金はクラウドファンディングも活用し達成しました。私は編集長として取材から記事の作成、撮影等にも携わりました」
塩見
「ゼロからイチにするのには一人で何役もしないといけないですね。でもそれがやりがいもあったのではないですか?」
板倉
「その通りで非常にやりがいのある取り組みでした。農家さんの取材やそれを記事にすることで益々高千穂町の事が好きになりましたね。そして、高千穂町の農業の事が多くの方に広がっていくのを感じることができました。多くの方の想いが詰まった“go!たかちほごう食べる通信”は今なお3か月に1回発刊しています」
塩見
「今でも続いていることが、何より素晴らしい取り組みだった証明でしょうね。充実した協力隊での活動だったとは思いますが、そろそろ協力隊の3年問題が出てくるのではないですか?」
板倉
「まさにそうです。3年目を迎え任期後に何をするのか悩んでいましたが一つだけ決まっていることがありました。それは“まず高千穂町に残ること”でしたね」
塩見
「なるほど。ここから議員になられる訳ですが、どのような考えやきっかけがあったのですか?」
板倉
「まず、何も高千穂町に縁がなかった私を温かく迎え入れてくれた上に、自分がしたい事業に関しても積極的に協力してくれた。次はその方たちにお返ししたいと考えてました。その中で選挙のタイミングも手伝ってですが、“議員”という選択肢があることを知ったのです。これなら高千穂町の持続的な町づくりについて、予算の使い道などの意思決定から関われると考えました」
塩見
「確かに板倉さんの考えを根本から関われるのは議員職なのかもしれませんね。ただし選挙活動をするのが大変そう」
板倉
「私も同様のイメージがありました。いわゆる三バン(カバン・カンバン・ジバン)を持たない中でしたので。ただ、地域おこし協力隊の活動を通して知り合った人たちの協力もあり524票を集め見事7位当選させて頂きました。2017年9月より町議としての活動がスタートしました」
※板倉さんは2021年9月に再選、2期目の議員として活動している。
距離を縮め、繋げること
塩見
「町議となって、どのような仕事をされているのですか?」
板倉
「地域おこし協力隊時代は“農業者”と“消費者”の距離を縮めるための活動をしてました。互いの理解を深めることで、農業者はよりやりがいを持ち消費者の目線に沿った農産物を作るようになるし、消費者は農業者のファンになり食や農業そして高千穂町のことを理解し、応援してくださるようになります。これが高千穂町の農業が活性化する根幹になります。議員の仕事も同じと考えており、“皆様”と“政治”を繋げることが、互いに高千穂町の課題を共有し、考え、協働する、つまり高千穂町がよりよい町になる根本であると考えています」
塩見
「なるほど。立場や肩書は変わるかもしれないですが、根本的な事は変わらないのかもしれないですね」
板倉
「そうだと思います。発信も工夫をしていて、公式HP等ではブログやSNSを効果的に使い特に若い層への発信をメインに、またインターネットを使用しない層には議会だよりを作ってアナログな発信もする等、どの年代にもわかりやすい発信を心がけています」
塩見
「協力隊時代もそうだったかもしませんが、どれだけ良い事をしていても、それが伝わらなければ意味がないこともありますよね。実際反応はいかがでしたか?」
板倉
「最初は『見てくれてるのかな?』と不安でしたが、少しずつですが『議会だより見てますよ』とのお声をかけて頂くことも増えてきました」
塩見
「町の方の反応が嬉しいですね。その他活動で心がけていることはありますか?」
板倉
「議会の一般質問の時には必ず提言することを心がけています。町政に関わる全般的なことを質問できる一般質問なのですが、そこで質問をする議員は実はあまり多くありません。私はこの機会には必ず質問をするようにしてます。また、ただの“質問”になるのではなく“提言”することを心がけてますね。しっかり高千穂町の実情や他地域での先進事例などを踏まえた上で質問することで、より現実的な提言をすることができます」
塩見
「これすごく大事な活動ですよね。私も仕事柄、地方議員の方と話す機会がありますが、議会で実際にどのように提言し、実行に移しているか疑問に思うことが多々あります。実際に板倉さんの提言から変わったことはありますか?」
板倉
「私の提言だけが要因ではないですが、高千穂町でのパブリックコメントの制度化は一般質問から制度化に至ったものですね。もちろん予算が絡むことも多くあるので全てが実現できるわけではありません。但しマラウイで学んだこと、“幸せになるためのお金の使い道”は常に意識して予算審査などの議員活動をするよう心がけてます」
塩見
「一貫した板倉さんの信念が垣間見れた気がしました。民間企業、青年海外協力隊、地域おこし協力隊といったような様々なバックボーンを持つ人が町政に携わることは、多角的に町政を動かせるチャンスになりますね。本日は色々お話頂きましてありがとうございます」
板倉
「こちらこそありがとうございました」
板倉哲男 HP:https://itakuratetsuo.com/